こんばんは!
土曜日は仕事がお休みだったので、練習後久々にここで、障害者施設での運動プログラムのための資料探しや、かつてのちょっとしたやり残しを片付けてきました。笑
かつての職場。
学校の職員室。笑
ほとんど、副校長としゃべって終わってしまいましたが。笑
それもまた、大切な時間です。
そこで、よく私がかつて熱くなって言っていた
「分かるか分からないかは教員がきめることではない」
ということに関する話になりました。
障害のある子達への指導でありがちな
「この子たちには難しい」
「この子たちには分からない」
という指導者の一方的なきめつけ。。
分からないときめつけて、内容を必要以上に簡易化し、なんとなくその場が楽しい雰囲気の、授業のような遊びのような時間を提供し
それを授業といって
毎年毎年同じような授業をダラダラ繰り返す。。
それも何年間も。。。
信じられないことですが、それがまだ残っているのが支援学校の現状、というのが私の印象でした。
それは違う、この子達は理解できるのだからもっと内容を工夫して、より多くのことを学ばせてあげるべきだ
という考えの先生と、そうでない先生が混在していたように思います。
分かるか分からないかっていうのは、経験がないから分からないだけなのだろうと思います。
もしくは教え方が良くないから、理解させられないのだろうと。
分からないことを、分かるように、あの手この手で経験をつませることが
教育なのだと単純に思います。
そこに障害も
校種も年齢も関係ないはずなのに。
悲しいことです。
教員も、チームプレーなので、やりたいことをやるのは巻き込む力がないと難しいと思います。
味方が一番の敵になるようなこともあると思います。
だからこそ、センスある若手教員たちが腐らず自分を貫いていられるよう、私は祈るのみだなぁと話していて感じました
私もたくさん悔しい思いをして、それでも最後は良きチームで理想的な授業を追求することができました。
わかる!できる!伝えられる方法は必ずある!!
障害によって話せないからといって、この子には難しいとか、分からないと決めつけるのは本当に失礼なことです。
私も今の立場でそれを思い続けて、指導にあたりたいな、と改めて思いました。
肢体不自由教育にはまだまだ課題が山積みですね。
踊りの合間にはこんなことばかり考えては、もどかしい気持ちになっています。
帰る時にはまっくらでした。笑
またきまーす!
郁美